現在の仕事についた経緯
人事として働く中で、「人を育てる」、「組織を作る」ことに興味があり、これらを自分で責任を持って行うには起業するのが最短だと感じたことが原点です。
その後、偶然にも剥がせる容器に出会い、これなら世界を変えることができる、他に類を見ない商品だと感じ、さらに世のため、人のためになる何かをやってみたいと思うようになりました。
事業を進める中で剥がせる容器を使えば、「環境」「福祉」「防災」「教育」の4つの軸をもとに社会に貢献でき、さらに会社をスケールさせていくことができると感じました。
現在は教育軸では子ども食堂と剥がせる容器の親和性が高いことがわかり、この分野に注力しております。
仕事へのこだわり
私の父親はバブル期の広告代理店で営業部長として働いていたゴリゴリの営業マンでした。いわゆる昭和の時代の営業マンであり、平日は毎晩飲みに行き、休日はゴルフといった父親でした。それでも私たち子どもとの時間は少ないながらもきちんと作ってくれていたと思います。
私はお酒は嗜む程度ですので父のような営業はもってのほか、幼い頃から営業という職種は出来ない、真似できないものと思って育ってきました。
そのため仕事も事務職である人事職を選び、労務/採用/教育/制度企画といった様々な範囲で人事という仕事に向き合ってきました。
しかし、結局、人事も営業の仕事だと気づくことになります。
人事にとっては【社員=お客様】だったのです。私は「ホスピタリティ」と「公平性」の2つを、仕事をする上で大切にしてきました。悟ったことは、結局は私自身が「人」に興味があり、「人」と関わるのが好きなタイプだということです。
その後、独立して起業をしたのですが、たくさんの方とお会いし、たくさんの出会いの中で、毎日「営業」をしています。
企業の中にいたサラリーマン時代、“良い社長は、中(社内)のことは信頼のおける人に任せて、自分は外(社外)を見ている社長”だと思っておりました。そのため、安心して外を見ていられるようにするのが自分の仕事の責任だと考えておりました。
しかし、自身が社長になった今、社長は外を見ているべきだとはっきり言えます。私はあの頃の父のように毎日、営業をし続けています。父のような働き方ではないですが、令和の時代にあった働き方だと思っています。
若者へのメッセージ
私は40歳で自分の会社を立ち上げました。40歳というのは経験値もあり、体力もある年齢ですので、時期として遅かったと思うことはないのですが、それでも周りにいる20代で独立している経営者を見ると、早い方が絶対に良かったなと思う気持ちもあります。
ただ、闇雲に会社をスタートするのではなく、勝ち戦をする必要があります。世の中が何を求めているか、自分の強みは何かを知ることが大切です。
よく仕事の成功には「人」「モノ」「金」と「情報」が必要といいますが、私はとにかく「人」が大事だと感じます。
「人」がたくさんの情報を持ってきてくれ、結果的に「モノ」「金」につながります。
今の私の周りには素敵な「人」がたくさんおり、そこから様々なビジネスが生まれております。
実はTikTokを使った海外とのビジネス、アミノ酸サプリ、大企業の制服の作成、プラスチックを使ったSDGsの取り組みなど、Ripples以外にも様々な挑戦を続けてます。これは全て「人」が持ってきてくれた情報から始まった挑戦です。
多くの人と交流し、その中からやりたいことをぜひ見つけてください。
そうしたらきっと世界が広がると思います。