リーダーインタビュー
伊藤記圭
キリバスホールディングス株式会社 代表取締役 伊藤記圭 http://kiribassholdings.co.jp/

Profile

1995年、名古屋市生まれ。超貧しい家庭環境で、男4人兄弟の三男としてゴミ屋敷のような家で育つ。幼い頃から「家族に家を建ててあげたい」と言い続け、その思いが人生の原点となった。
学校には通わず、オンラインゲームやカード売買で独自に収益を得る一方、14歳で建築の世界に飛び込み、大工として働き始める。大工という仕事自体を好んで選んだのではなく、家を建てる術を身につけるための手段として必死に技術を学んだ。
6年間の修行を経て独立し、建築会社を創業。社長業を続けながら株式トレーダーへ転身し、相場の世界で名を知られる存在となるも、炎上や空き巣被害など度重なる挫折を経験。財産を失い、人間関係でも裏切りを味わった。
だが再び立ち上がり、大工会社を再興し拡大。その後、美容、医療、物流、飲食、不動産、金融、ITなど幅広い事業へ進出。現在はキリバスホールディングス株式会社の代表としてグループ経営を統括し、少年期の夢であった「家族に家を贈る」ことを父に家を贈る形で実現。破壊と再生を繰り返しながら挑戦を続けている。

現在の仕事についた経緯

幼少期に「家族に家を建てたい」と誓ったことが出発点でした。学校に通わず独自にお金を稼ぎ、14歳で大工の世界へ。仕事は過酷でしたが「手段としての大工」をやり切り、6年後に独立して建築会社を立ち上げました。
その後は株式トレーダーとしても活動し、成功と同時に炎上や空き巣被害など数々の挫折も経験。財産も信頼も失いましたが、再び事業経営に挑戦し、建築に限らず美容・医療・IT・物流など多角的に展開しました。
常に破壊と再生を繰り返しながら、挑戦を事業という形に変えてきたことが、現在のホールディングス経営につながっています。

仕事へのこだわり

私の仕事へのこだわりは「速度」と「行動」にあります。
幼少期から貧しい環境にて育ち、「家族に家を建てたい」という思いだけを胸に走り続けてきました。だからこそ、考え込むよりまず動くことを重視しています。迷って最適化を図るより、早く間違えて修正する方が成長は速いです。私はその繰り返しでここまで事業を築いてきました。

決して好きな仕事ではありませんでしたが、大工として修行した6年間は、「家を建てられる技術があれば夢を叶えられる」という一点だけを信じて歯を食いしばりました。そこで培った「手を動かし続ける姿勢」が、経営者となった今も基盤になっています。

20代前半、専業トレーダーとして過ごした日々では、待ちの時間の大切さを学びました。市場の動きを読み続け、動くべき瞬間に集中する。これは経営にも通じることです。事業の成長も一気に加速する時期があり、その瞬間を逃さないためには普段から動き続け、準備を整えておく必要があります。

私は怒りません。怒りは速度を止め、挑戦を遅らせるからです。人を責める代わりに「次にどう動くか」を考えるようにしています。諦めることもしません。諦めた瞬間に夢は遠ざかります。だから私は倒れても立ち上がり、炎上も裏切りも空き巣被害もすべて経験に変えてきました。

私にとって事業は「社会を変える挑戦」であり、自分自身の生き様を刻む手段です。宇宙に行くことを成功の定義に据えているのも、本気で挑戦を走り切るための燃料です。破壊と再生を繰り返しても、挑戦を止めない。迷って最適解よりも素早く間違える、これこそが私の仕事へのこだわりです。

若者へのメッセージ

私もまだ若いので、同じ若い皆さんに伝えたいことがあります。
私も、あなたも、そして画面の中で見るすごい経営者や著名人も、出発点はみんな同じです。違うのは「やったかどうか」だけ。このゲームは、動いた奴が勝つのです。

人はそれぞれ自分に「ダメなところ」があると思っているはずです。でもコンプレックスは直さなくていい。自分の弱点を直そうとするよりも、自分のいいところを徹底的に磨き上げた方が、圧倒的に成果は早く出るからです。私自身もそうやって生きてきました。

私はゴミ屋敷のような家から始まり、学校にもほとんど行かず、ただ行動し続けてきました。その結果、今では法人として医者や看護師、弁護士、同級生や兄貴、弟、親父までを自分の“重力”で仲間に引き入れ、家族を支える立場になりました。不登校だった自分が、今は家族の誇りになっています。

法人としての使命は、迷って最適化するよりも素早く間違えて行動を重ね、この世に名を残すことだと思います。名前を残すというのは大事を成すことです。迷うより動き、大事を成してほしいと思います。私もまだ挑戦の途中です。だから一緒に走ろう。