リーダーインタビュー
池上秀一
株式会社九昭ホールディングス 代表取締役 池上秀一 http://www.kyushodensetsu.co.jp/

Profile

福岡県北九州市で電気工事業を営む家に生まれ、学生時代は柔道で全国ベスト8に入る。大学卒業後は日立製作所系の企業で電気通信工事・保守に従事し、27歳で父の電気工事会社(売上1.5億円・自己資本比率15%)を継承、代表に就任。
経営セミナーでの「売上3億・自己資本比率30%以下はゴミ」という一言に火がつき、昼夜を問わぬ改革で32歳に同基準を突破。36歳の時に父が急逝し、約10億円の負債を抱えるが、銀行交渉を重ねながら「付加価値額」に着目した独自の経営手法を確立。
新会社設立とグループ展開で業績を伸ばし続け、55歳で完済を実現。現在も事業規模を拡大している。

現在の仕事についた経緯

私は福岡県北九州市で電気工事業を営む家庭に生まれ、大学卒業後は日立製作所の子会社で電気通信工事やメンテナンス業務に携わっていました。
現場の基礎を学んだ後、27歳の時に父が営む電気工事会社を引き継ぎ、代表取締役に就任しました。当初は売上1.5億円・自己資本比率15%という厳しい状況でしたが、経営者として会社を立て直す決意を固め、以来、付加価値額経営を軸に事業を拡大してまいりました。

仕事へのこだわり

私の仕事へのこだわりは、新人時代から一貫して「現場に学び、人に寄り添う」という姿勢にあります。
日立製作所の子会社で電気通信工事やメンテナンスに従事した時、「仕事の本質は“人の力と段取り”で決まる」という当たり前の事実に気づきました。その後、27歳で家業を継いだ際も、特別な経営知識があったわけではなく、現場で身につけた「泥にまみれてでもやり切る」という姿勢だけが私の武器でした。

そしてその根底には、幼い頃から苦労しながら会社を支えていた両親への感謝があります。逃げて楽になる選択肢もありましたが、私は「まずやってみる」を大切にしてきました。やってみないと、何ができて何ができないかすら分かりませんからね。
当然、その分人よりも失敗は多く、10回挑戦して1回成功するくらいです。しかし何も行動しない人より、挑戦した分だけ成功に近づける。そんな考えが私の背中を押し続けてきました。

経営セミナーで耳にした「売上3億・自己資本比率30%以下の会社はゴミ」という言葉も、私にとっては覚悟を決めるきっかけでした。昼夜を問わず働き、5年でその基準を超えることができたのも、社員と同じ目線で現場に向き合い続けたからだと思っています。

その後、父の急逝により10億円の負債を背負うことになりましたが、この極限の状況が「付加価値額経営」を生む契機にもなりました。工事部と総務・営業の“給料の扱いの違い”という小さな疑問が、会社の構造そのものを見直す視点を与えてくれたのです。

私のSTYLEは、成果を追うだけでなく「人が最大の力を発揮できる仕組みをつくること」です。現場から始まったこの姿勢は、今も変わらず、会社の未来を切り開く原動力となっています。

若者へのメッセージ

若い皆さんには、ぜひ「自分を磨くこと」に全力を注いでほしいと思います。よく“ワークライフバランス”が語られますが、若い時期だけは、めいっぱい自己研鑽に打ち込んでほしいのです。

私は学生時代、柔道で全国大会に出場しましたが、学校の練習だけでは全国大会に到底たどり着けないと感じ、2時間の部活のほかに、早朝2時間の自主練習と部活後に地元道場での3時間の練習を続けました。大谷翔平選手やイチロー選手も同じで、輝いている人は例外なく、人知れず磨き続けているのです。

もちろん時間外労働を推奨するわけではありませんが、ダイヤと同じで、人も磨かなければ光りません。読書でも資格取得でも構いませんが、仕事以外の時間に自分の成長とどれだけ向き合えたかが、50代・60代になった時に大きな差となって現れます。

若いうちに努力した経験は、一生の財産になります。どうか自分を信じて、勇気を持って挑戦し続けてください。応援しています。