リーダーインタビュー
浅香忠満
AAC株式会社 代表取締役 浅香忠満 http://www.aac-g.co.jp/

Profile

1983年、富士ソフト(当時ABC)に入社後、まもなくCTC伊藤忠テクノソリューションズ(当時CDS)に派遣となり、CAD/CAM/CAEを皮切りに製造業ITを開始。
1985年、会社間都合でCTC伊藤忠テクノソリューションズからスカウトしていただき、当時CAD子会社であったキャドック(その後CTCに経営統合)に入社して製造業IT/DXを継続。在籍は約35年間で、合計で約37年間CTCで勤務。この間、約100社200プロジェクト(業種はほとんどが製造業、一部建設業他)に関与し、25歳から定年退職までの35年間でPMも経験。
今では当たり前になっている“見積仕様書”も、自らの疑問に答え、お客様への説明にも必要と考えて40年前の1985年に考案、命名し、自分でも使用し、周囲にも広めた。
30歳で“SI案件請負マニュアル”を作成して実務活用、社内の開発標準にも提供、部分採用。特色は社内の全職種毎にやるべきことをまとめたことである(SIも総力戦、全員野球という考え)。
CADを中心としたCIM(コンピュータ統合生産)の考え方も25歳で自分なりに整理、提案して活動開始。そしてBM(後にBOM)、PDM、PLM、BOM、BOP、スケジューラ、IoT、AI等にも関与。
2020年、CTCを定年退職し、AAC株式会社の社長執行役員に就任。2021年にはAAC株式会社の代表取締役(現職)に就任し、製造業IT/DXを継続し現在に至る。
2023年からは独自の生成AIツールで新事業を開始し、新聞掲載多数、講演依頼多数。2025年3月には共著になっている生成AIの専門書が出版された。
社名のAACは“Ace of Advanced Connecting”の略で、技術と技術を高度につなげる第一人者になるという意味を込めて命名。読みも“アアク”と読み、英語で読んでも日本語で読んでも一番上になることを想定。目立たない会社を如何に目立たせるかの苦肉の策だった。

現在の仕事についた経緯

18歳の時、かつては製造業の設計部門を目指していました。しかしちょうどその頃、“コンピュータ(電子計算機)”という言葉を耳にすることが増えて、製造業に未練を残しつつも、「これからはコンピュータだ」と思うようになりました。
新卒としてソフトウェア開発会社であるABC朝日ビジネスコンサルタント(現 富士ソフト)に入社し、ソフトウェア開発の仕事を始め、その後まもなくSI会社であるCTC伊藤忠テクノソリューションズに派遣になり、CADを始めました。
そして、「これなら製造業の設計業務とコンピュータの両方が必要になるので、一生の仕事にできる。もしかしたらいつか会社を作れるかもしれない、否、作るかもしれない。」と思うようになりました。

しかし、会社間の都合で派遣が終了し、自社に戻ることになり、CADの仕事を断念せざるを得ない状況に陥りました。それまで目指した方向性を諦める事態になったのです。
ですが、派遣先だった上司から「うちに来ないか」というお誘いをいただき、かつて目指した方向性(当時はCAD)を捨てきれなかったこともあり、転職、入社することにしました(仕事内容も人間関係も変わらず)。そしてCAD、PDMを経てPLM、BOM、BOP、IoT、AI、XRをやることになり、定年退職まで在籍しました。

その後、かつて思った「いつか会社を作るかも」という気持ちが蘇り、現在の会社を起業するに至り、主力のCAD、PLM、BPR、業務コンサルに加えて独自の生成AIも始めました。
2015年からの2つのAI構想を2023年に共に実現したもので、これまで日刊工業新聞に5回(一部執筆内容のみ)、CAM専門誌に1回掲載され、講演(ビッグサイトものづくりワールド2024年6月製造業生成AI講演含む)の依頼を多数いただくようになりました。
2025年3月には共著として執筆させていただいた生成AI専門書、“生成AIによる業務効率化と活用事例集”が技術情報協会様から出版されました。

仕事へのこだわり

18歳で実家を出たのですが、諸事情で実家からもらっていた仕送りが大幅に減らされることになり、アルバイトで生計を立てることになりました。そして大手外食チェーンであるロイヤルホストでアルバイトをしつつ、製造業設計業務を目指しました。
この時のアルバイト先の矢崎店長(その後、2011年にロイヤルホスト社長に就任されました)の教えは、「金だけで仕事を選ぶな」「仕事は自分から探せ」というもので、就職してからも(現在でも)私の生き方、仕事への姿勢になっています。
一時期、近隣別飲食店の時給に釣られてアルバイト先を変えましたが、上司の指示に違和感を覚え、毎日自転車で通り過ぎるロイヤルホストの矢崎店長から「おーい、あっちはどうだ?帰って来る気になったか?」という何度とないお声掛けに甘えて、最終的には出戻りました。事情はありましたが、時給だけに釣られた自分を反省しました。矢崎店長のおっしゃる通りでした。

就職して新人と呼ばれるようになってからは、先ずは「技術を身につけた方が勝ち」と思うようになりました。周囲からの「あいつはあの作業にいつまでかかってるんだ」という風の噂を耳にしたこともありましたが、「やり切る」ことが大事だと考えました。自分自身、「出来なかったらどうしよう」という気持ちもありながらも、何とか最後までやり遂げ、当時の派遣先の上司からは、「あんな難しいプログラムをよく作ったな」と大層お褒めの言葉をいただきました。
検討から納品まで2ヶ月かかりましたが、これでかなり自信が付き、「やれば出来る、諦めたら終わり」という姿勢が身につき、更に「人に出来ない事をやる」という挑戦者魂、技術者魂も身につきました。
今思い出しても難しい3次元形状の自動設計ツールで、新人の私にとっては(2025年の今でも)「難しいことをやったな」と我ながら思いますが、プログラムの基本設計、詳細設計、プログラム作成、テスト、納品・検収まで1人でこなし、ご依頼いただいたお客様先に担当営業と共に胸を張って向かうことができました。
その後も難易度の高い3次元形状の自動設計ツールの開発をしましたが、「人に出来ない事をやる」という姿勢は今でも貫いています。

その後はCAD以外にCAM、CAE、PDM、PLM、BOM、BOP、IoT、AI、BPR、XR、生成AI等、奥深さに加えて技術の幅も拡大し、製造業でニーズがあることは何でもやる技術者、会社として前に進んでいます。
10年前の2015年に構想した、“AI自動生成システム”を2023年に実現できて、同年以降、新聞に何度も載ったり、講演依頼を多数いただいたりしました。2025年3月に出版された生成AIの専門書に共著で掲載いただいたのも、「人に出来ない事をやる」姿勢が自然に身についていたからだと思っています。
今日の私があるのは、これまで色々なチャンスを与えてくださった方々、仕事への姿勢を叩き込んでくださったロイヤルホストの矢崎店長(今では元社長)、私の話を聞いて理解・賛同してくださった方々、私を発掘していただいた方々、私と共に戦っていただいた方々等、数えきれない方々のお陰だと感謝しています。心よりお礼申し上げます。

若者へのメッセージ

やりたい仕事を見つけて自分の生きる道を探してください。それが見つかったら人生の半分は成功です。道を決めたら、突き進んで行き、ノイズもうまくかわして頑張ってください。
また、仕事に対する姿勢、挑戦者としての姿勢等、給料や人間関係だけでなく、自己実現、仕事に対する生き甲斐も身につけてください。
そして死ぬ間際に、悔いの残らない人生を送ってください。