リーダーインタビュー
水田宗孝
未来来来株式会社 代表取締役 水田宗孝 https://miraikurukuru.com/

Profile

コナミ株式会社に正社員として⼊社し、ウイニングイレブンシリーズに携わる。ソニー・コンピュータエンタテインメント(委託契約)、株式会社カプコン(正社員)に⼊社し、任天堂の有名IP「マリオパーティ8」スピンオフメダルゲームを企画開発。グリー株式会社、株式会社バンダイナムコスタジオへ正社員⼊社し、アイドルマスターミリオンライブ!フューチャーフォン版最後の運営責任者を拝命。同社を退社し、未来来来合同会社を設⽴。株式会社化し、後に未来来来株式会社へ社名変更。資本金1000万円に増資。現在に至る。

現在の仕事についた経緯

⼀貫してゲーム会社でゲーム開発の仕事をしてきましたが、コロナウイルス感染症の拡⼤とともに世の中が騒然となっていた2020年12⽉、飲⾷店などの閉鎖により⾷材の⾏き場がなく、農家が困っている現状を知りました。
「クラスター」という言葉の一人歩きもあり、飲食店経営者が「マスク警察」といったネット民にやり玉にあげられ、ネット業界に生き残りの道を求めていた頃でした。
いてもたってもいられなくなり、自身の離婚の時期とも重なったことで、誰かの役に立つ事業をつくりたいという想いが強くなり、副業で⾏なっていたネット通販を事業として独⽴しました。流通業界に貢献しようと会社を辞め、2021年5⽉に独⾃開発のネット通販システムの販売とコンサルティングを⾏う未来来来合同会社を設⽴しました。
仕事上で付き合いのあった知り合いのプログラマーと、Amazonのデータを活⽤して素⼈でも売上を上げることができるシステムを開発しました。ネット通販ビジネスを始めたい企業・個⼈に向けたスクールとそのシステムの運営指導を⾏なう会社として、LINE総登録者数1万2000人を達成し、150名程度のスクール⽣を抱えるまでに⽀持をいただき、今に⾄っています。

福祉事業への参入動機

バンダイナムコを退社して、現在の未来来来株式会社を創業し、最初は小さく始められるネットショップ運営から開始しました。物販事業と就労支援施設は提携関係になることが多く、物販の雑務を障害者支援施設にお願いする流れは一般的です。
コロナ渦の人助けからはじめた事業ですが、創業時は安く作業を頼めればそれでいいというスタンスで、B型就労支援施設である「リンクアップ津田沼」にキッピング作業をお願いしました。通常、クラウドソーシングの主婦にお願いすると50~80円の梱包を、10円でやってくれました。
しかし、ある時から、障害者の方はこの工賃でなぜやってくれるんだろう?と違和感を抱くようになりました。社会的弱者を食い物にしているのだろうかと思いました。
月日は流れて年商1億円を超えたあたりから、自分の売上だけを目標にしているスタンスでは社会から応援されずに、会社として胸を張って成長が出来ないことに気付き、自分の周囲に少しでもリターンを、と考えるようになりました。世間様から見た時に存在意義を問われる時が来ると考えたのです。
店舗を持って社会的に実体があると認められ、“売上が上がる=社会貢献性がある事業”としてシフトしたいと考えています。

仕事へのこだわり

アドラー心理学を元とした「嫌われる勇気」と、ウェルビーイングという哲学から大きく影響を受けたことが、自分の考え方の基礎になっています。目先の利益に振り回されず、精神的な自立と良好な人間関係を優先する選択権を持ち、成長実感や経験を得られることを優先し、未来に向かう今だけに没入できる、その環境をどう作るかに拘っています。
他人に具体的な仕事へのこだわりを語るほど、こだわりは強くありませんが、仕事とは価値提供をして対価をいただくことですので、お客様の価値観を満足で満たすために、先にギブすることを心がけています。

若者へのメッセージ

まだ経営者として駆け出しの4期目ですので、若者に偉そうに語れる身分ではありませんし、SNSが社会へ浸透する前と後では社会構造がガラッと変わりました。私の社会人一年目の頃には、SNSがありませんでした。経験し発信する場所がテレビか雑誌メディアしかなかったので、下積みという階段を上りそのポジションを目指す期間が必要でしたが、今は、国民全員が発信して主張することでチャレンジでき、スタート地点に立てる時代です。
「やるかやらないか」だけの世界です。物心がついた頃からスマホがある若者の方が、実は経験を積みやすく卓越したビジネススキルを取得することができると思うので、上から見下すというより、ライバルだと思っていますし、下の世代から学べることが多いです。
世代間ギャップを楽しみながら、日本をまた世界に負けない国にしていきましょう!