リーダーインタビュー
吉野友章
株式会社吉野機械製作所 代表取締役CEO 吉野友章 https://yoshino-kikai.co.jp/

Profile

日本大学法学部中退。バックパッカーとしてメキシコを横断後、20歳で吉野機械製作所に入社。3年間の現場経験を経て一度退職し、仲間と飲食店を共同経営。M&Aを経験し、30歳で再び吉野機械に戻る。管理部門にて生産管理ソフトの導入・原価管理体制の構築に携わり、のちに組立工・修理工として全国を飛び回る。工場長就任後は3D設計の推進など現場改革を行い、生産性を飛躍的に向上させ売上倍増に貢献。専務取締役を経て現職。現在は、完全自動化を実現する次世代装置の開発を牽引し、国内外での事業展開にも注力している。

現在の仕事についた経緯

学生時代に日本大学法学部を中退し、バックパッカーとしてメキシコを横断しました。その後、家業である吉野機械製作所に入社しましたが、当時は学生気分が抜けず、職人文化の強い現場に馴染めないまま3年で退職してしまいました。
飲食店経営やM&Aにも挑戦しましたが、「逃げた」という自責の念が消えず、腰の手術を機に実家へ戻り再入社。今度は「次はない」という覚悟で現場改革に全力で取り組みました。ものづくりに無我夢中で没頭する中で、この仕事が天職であると確信したのです。
現在は、祖父や父から受け継いだこの会社を、自らの手でスケールさせ、100年・100億円企業へと成長させることを目指しています。ものづくりの力で地域と社会を支え、次世代に誇れる産業を残したいと考えています。

仕事へのこだわり

新人時代から一貫して、私は「株式会社である以上、利益を追求するのは当然であり、そのためには一人当たりの生産性を高めることが最も重要である」と考えてきました。一人当たりの生産性が上がれば、社員の給与も上がり、結果として離職率も下がります。そうして初めて、持続可能な経営が実現すると信じています。
町工場にありがちな“慣習や経験則に頼る仕事の進め方”に違和感を覚え、もっと効率的に、合理的にできるはずだという思いが常にありました。再入社後は管理部門に配属され、生産管理ソフトを導入し、原価や工程、人の動きを見える化。これによりボトルネックが明確となり、属人化していた作業に改善のメスを入れることができました。
属人化の色が濃かった現場にも自ら立ち、「効率」と「仕組み化」を現場目線で推進。工場長就任後は設計部門にも踏み込み、2D図面中心の体制を3D設計へと刷新し、作図から製造までの連携を大幅に改善。その結果、生産性が飛躍的に向上し、売上は約2倍に伸びました。
私のこだわりは、技術や経験に依存しすぎない、“誰もが安心して成果を出せる現場”をつくることです。これが強い組織の土台になると考えています。わずかな作業改善が現場にゆとりをもたらし、その積み重ねが、働きやすく誇りある職場環境をつくる——それが私の考える“働き方改革”です。
さらに、若い世代が自信を持って現場に立ち、ベテランの技術が自然に継承される環境づくりも重視しています。現場の一人ひとりが「自分の役割と成果を実感できること」、そして「ものづくりの面白さに触れること」こそ、技術継承と人材定着の鍵であると感じています。今後も、人と設備の力を最大限に引き出せる現場を目指していきます。

若者へのメッセージ

私が若い世代に伝えたいのは、「考え方一つで、人生も仕事も大きく変わる」ということです。私が尊敬する稲盛和夫氏は「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」と説いています。特に“考え方”の順番に強いこだわりを持っており、これがマイナスであれば、どれだけ能力や熱意があっても結果はマイナスになる——まさに本質だと感じます。
私自身も若い頃は考え方が未熟で、熱意や能力を間違った方向に使ってしまったことがあります。どれだけ努力しても、考え方のベクトルが正しくなければ、人は幸せにはなれません。
また、社会や環境、他人のせいにするのはやめてほしいです。そうやって悩む時間がもったいないと思います。その状況で「今、自分に何ができるか」を考えることで、逆境すら自然に乗り越えていけます。
能力は努力で伸び、熱意も環境や目標次第で育ちます。ただし、正しい考え方を持つには、自分と向き合い、謙虚に学び続ける姿勢が欠かせません。どんな仕事も「やるなら一番を目指す」気概で、お金をもらっている以上、プロとして責任と誇りを持ち、仕事を好きになる努力をしてほしいです。そうすれば、仕事は必ず応えてくれます。